チェ・ゲバラは、Tシャツやポスターなど日本においてもたくさんの場所で見かける。
日本とは縁が無さそうだがチェ・ゲバラがパッケージになったタバコも販売されている。
試しに吸ってみたが、苦かった。
チェ・ゲバラと言えば葉巻のイメージがあるので、苦い味にしているのかもしれない。
最近では、チェ・ゲバラ没後50年ということで各地においてニュースになっている。
例えば、アイルランドではチェ・ゲバラの切手が発行され注目を集めているようだ。
記事を引用する
アイルランドとキューバの国交が樹立したのは1999年になってからだが、ゲバラの父親がアイルランド系だったことから、アーティストのジム・フィッツパトリック氏がゲバラのTシャツやポスターをデザイン。アイルランドの郵政当局が今週、ゲバラの没後50年を記念して切手を発売した。
当局はこの切手の人気について、タイタニック号沈没やアイルランドの対英国蜂起を記念してかつて発行されたものに匹敵する勢いとしている。
他にも、キューバでは記念式典が行われおり大勢の人が集まっている
チェ・ゲバラとは一体何者だろうか?
何がそんなに人を魅了するのだろうか。
チェ・ゲバラ没後50年、そしてオダギリジョー主演の映画「エルネスト」公開に合わせて、記事にまとめてみようと思う。
チェ・ゲバラの本名は、エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ
「チェ」とはあだ名のようだ。意味は「やあ」とか「おい」とか言った気さくな感じらしい。
1928年6月14日にアルゼンチンで生まれ、39歳の若さでボリビアで亡くなっている。
この写真は誰もが見たことがあるだろう。
撮影者のコルダ、作品としたジム・フィッツパトリックも著作権を放棄
「ゲバラの思い出を伝えたいと望む人々や、世界の平和目的に写真が複製される限りには反対しない」と述べており、
『英雄的ゲリラ』の著作権を明確に主張せず、各種の二次的著作物から生じた利益も受け取らず、創造的著作物に対する著作者の権利を国際的に定めたベルヌ条約を
キューバが批准した1997年以降においても一切請求しなかった。
このようなことがあったため、反体制のシンボルとしてチェ・ゲバラは世界各地で人気を博すようになった。
チェ・ゲバラと日本の接点は無いように思えるが、実際にはあった。
調べてみると、1959年7月15日、31歳のゲバラはキューバの通商使節団を引き連れて日本を訪れている。
そして、はっとさせられたのが彼の行動と発言だ。
チェ・ゲバラは来訪時、予定を変更してオマール・フェルナンデス大尉とマリオ・アルスガライ駐日大使を伴って全日空機で岩国空港に飛んだ。広島県職員案内の下、広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に献花し、原爆資料館と原爆病院を訪れている
その時の彼の発言がこれだ。
と問うたという。
ゲバラが広島の状況をキューバに伝えて以来、同国では現在でも初等教育で広島と長崎への原爆投下をとりあげている。
ストレートでズシンとくる彼の発言内容に彼の人柄が感じられる。
何故アメリカに対して原爆投下の責任を問わないのだろうか。私も不思議に思う。
何故なら、原爆を投下する必要など無かったからだ。
原爆の投下こそ無差別大量殺戮の「悪」だと私は思っている。
原爆を投下せずとも第二次大戦を終結させることは、当時のアメリカなら容易に出来たであろう。
チェ・ゲバラは、そういうことをストレートに言える人なのだ。
生涯をかけて実現しようとしたチェ・ゲバラの理想とは一体どのようなものなのだろうか。
これがチェ・ゲバラの目指した理想なのでは無いだろうか。
ただ言うだけの夢想家ではなく、実際に行動を起こして事を成し遂げたからこそチェ・ゲバラの言葉には重みがある。
最後にチェ・ゲバラをとりまとめた特集番組があったので紹介しておきたいと思う。